カワセミEYE ロゴ
2006.9.1   No.1        
    <交流館たいき めだか池>   
発行 エコミュージアムセンター
宮川流域交流館 たいき
交流館たいき めだか池の写真 〒519-2704 三重県度会郡大紀町阿曽429
                                   
電話/ファックス:0598-86-3851
                               
E-mail:mrune-t@ma.mctv.ne.jp
開館時間:10時~16時 
休館日:年末年始
毎日.毎日暑い日が続きますね。
夏バテしないようにがんばっていこうと思います。
流域案内人からの情報・交流館での出来事を
「カワセミEYE」にてお知らせしていきます。
            堀内和恵・大野光子
以前は田んぼ・池などどこにでもいた「めだか」。最近では見ることが少なくなってしまいました。寂しい限りです。交流館のめだか池では、流域案内人の方に放流していただいためだかが増えてきました。
金魚と混じり仲良く泳いでいます。かわいらしい姿をぜひ見に来てください。
=動物と人間との戦い=                                    

近頃、山から里山へ「イノシシ」「鹿」「猿」等の動物が出てくることが多くなりました。せっかく作った収穫前の農作物を食い荒らされ、生産者の方は、防御するのに頭を悩まされているのではないでしょうか?自宅近くの畑にも夜な夜なイノシシが出没し、食べ物を物色・走り回り、朝になると何も植えていなかったように見事なくらい畑が耕されてます。
イノシシより頭の良い猿にはもっと頭を悩ませてしまいます。良い対処方法はないものでしょうか。人間と動物の知恵比べといったところでしょうか?また、これらの動物が体につけてきた「ヒル」「ダニ」等を家近くの里山へ落としていくことがあります。これが近年の「ダニ」「ヒル」の里山や農地で人間が吸血の被害にあう原因のひとつだと思います。
ヒルよけに効果的なのがヒルよけスプレーもありますが塩水に浸した布をふくらはぎ辺りに巻いておくとそれより上には上がってこないようです。              (堀内)

地元で活躍している人の紹介です ☆ミ


「宮川流域交流館たいき」同敷地内、阿曽温泉食堂「あすなろ」の意欲に満ちた婦人方の作る味ご飯が人気を呼んでいます。こちらの食堂はあすなろ会のメンバーが交代で地元豊かな食材に趣向を凝らした料理を提供してくれます。新鮮かつ地元の味でとってもおいしですよ。        
うどんとセットで是非ご賞味ください。



皆様のまわりにおもしろい情報がありましたら
どんなことでも結構ですのでお知らせください。
 

味ご飯うどんセットの写真
(味ご飯うどんセット ¥500)
<霧の滝原浅間山>
浅間山への思い

「浅間山」知っているかと聞くと「それ何や?」。「富士山」知っているかと聞くとそんなの知らないはずが無いと返ってくる。浅間山の言葉はおろか、山の存在すら知らないことを表しており、日本の文化・伝統・自然が失なわれ行く一例と言えるでしょう。
しかし、各地の浅間山と富士山とは深いつながりがあります。富士山が御神体として浅間大社に祀られた由来を検証してみました。
桓武天皇の延暦21年(802)富士山が噴火し、雷鳴・地震が終日止まらず、人々は恐怖におののく日々が続き、国司郡司が噴火を治めるため祈願を行うための斎場を設け、祭事を行い、社殿を造営(807)したのが始まりと伝えられています。
霧の滝原浅間山の写真
各登山道に浅間神社を5社設け、登拝の度にお参りする山岳信仰であります。なかでも富士山本宮浅間神社が総本社であり、8合目以上は奥の宮で聖地と言われています。
社殿は1604年徳川家康が寄進したもので、浅間造りと称され二重の桵閣造りで他に例がなく国の重要文化財である。富士山の「湧玉池」は霊水で身を清めると心身共に美しくなり女の怒りを治めると伝えられています。祭神は富士の女神木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)である。全国にたくさんの分布があり末社、攝社を含め全国に1300社あります。山間部では、家内安全、五穀豊穣、漁村では豊漁、安産、航海安全を祈願し祭事が行われていたと思われます。関東・東海に集中し三重にも多数(25社)あると思われ、これは富士山が遠望できる地域に富士山の噴火(山の怒り)を鎮めるために設けられたと思われる。宮川流域では、それぞれの集落に存在し、しかも、姿のよい山、全体が見える所、景色のよい所等、特異特種な地域の実状に会った所に祀られています。
阿曽浅間山祠の写真 阿曽浅間山も一番高い所でなく、集落全体が眺められる所に祀られています。かつて、縁日には(6/28)例祭があり、町から浅間山(450m)まで一列にタイマツを持ち登る姿は美しく夏の夜の楽しい光景であったと聞いています。しかし、明治に入り神仏分離令により神社に転したりして多くは消滅したと思われます。
戦後間もない頃は祭事も行われ伝統が守られていたが、今日では、すっかり忘れ去られ、山は荒れ果てています。しかし、各地に残された里山として浅間山を少しでも後世に引継のが、私達の責務であると思っています。
 (流域案内人 小野幸年)
<阿曽浅間山祠>




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